有限会社ミゾー
冒険家が登山の道具を作った
『冒険の蟲たち』という本がある。
3人の青年、溝渕三郎、與田守孝、長篠哲生が、1976年4月から翌年2月まで、北米から南米へとボロボロの中古車で5万キロの旅をしつつ登山をした過程を記録した生々しい手記だ。楽天的で破天荒な3人の痛快な珍道中。
彼らの登山の実力は世界クラスだ。ペルーアンデスのトーレ・デ・クリスタル(水晶の塔の意味・5529m)南壁や、タウリラフ(5830m)南壁の登攀という、ほとんど垂直の氷と岩の壁でできたルートの攻略に世界で初めて成功したのだ。
その3人の冒険家のうちの一人溝渕三郎さんは、冒険から戻って、ピッケルなど登山用具の製作に取り組み、やがて会社を設立した。「ミゾー」という社名のその会社は現在草加市手代町にある。小さな町工場である。ここから登山家たちが愛用するいろいろな山登りの道具が生み出されている。
「若いころ、凍った滝を登るアイスクライミングがヨーロッパからの影響で日本でも火がついて、ばんばん登りに行った。でもそのころいい道具がなかった。それで自分でまったく新しいものを作ろうと思ったんです」
ちなみにピッケルはつるはしのような形の道具。雪の塊や氷を砕きながら登山するときに使う。ピッケルの尖った刃の逆側がハンマーになっているものをアイスバイル(現在ではアイスアックスの呼称が多く使われる)と言う。
アイスクライミングでは、アイスバイルを両手に持ち、氷の壁に向けて打ち付け突き刺しながら上へ上へと登っていくのだ。
アイスバイルに新しい形を与えた
1980年代、溝渕さんはそのアイスバイルに新しい形を与えて、世界の登山界にショックを与えた。
「それまではまっすぐだったシャフト(柄)を曲げたんですよね。こうするとピックが氷に深く入り込む。それが結構話題になった」
それが「アイスバイルV─1」だ。シャフトが刃の反対方向に「く」の字に曲がっている。
以後、シャフトが真っ直ぐでなくてはならないという固定観念から開放され、世界のメーカーは競っていろいろなアイスバイルを作るようになった。現在では曲げる向きが逆側、刃の方向にくの字に曲げられたタイプが、ミゾー製品も含めて主流になっているようだ。
なおシャフトを曲げるという画期的なアイデアについて、溝渕さんは残念ながら特許を取得していなかった。
チタン素材の応用でも話題に
あるとき日本鋼管(現在のJFEエンジニアリング)の技術者が、チタン合金を利用した製品企画を打診してきた。チタン合金は曲げ加工が非常に難しく、細かい加工に不向きな金属だったが、割れにくいチタン合金を新たに開発したということだ。
「それでアイゼンを作った。これはチタンをよく知ってる人が見たらびっくりする話。こんなのどうしてできるんだ、って」
アイゼンは靴底に装着する爪状の金属の道具。従来は主にクロモリという鉄で作られていた。チタン合金を使うことによって、軽く、強くなった。登山家たちの間で評判となり人気が出た。
ところが、なんと加工を頼んでいたプレス工場が倒産してしまった。製造は中止となった。
材料となるチタンの板は残されていた。溝渕さんはこのチタンで何かできないか考えた。チタンの性質、効能を調べた。
イオンを溶出しない、つまり金属アレルギーがまったくない。そして金属臭がない。しかも軽いし錆びない。
それなら食器にいいんじゃないかと考えた。それで試作のカップを作ってみた。
「製品化したら売れてね。ものすごい流行った」
チタン製カップでお茶を出していただいた。唇をカップの縁につけても熱くない。飲みやすい。熱伝導率が低いためだそうだ。チタンは食器にうってつけの素材なのである。溝渕さんはチタン製のスプーンも作った。
これを見た大手メーカーが一斉にチタン合金製の食器を作り始めた。今やチタンのアウトドア製品はありふれている。
溝渕さんはこれも特許を取っていなかった。
昔から登山家のアルバイトといえば、高層ビルにぶら下がって行う窓ガラス清掃が代表だが、ミゾーのラインナップのもう一つの柱が、ビル高所作業用具である。溝渕さんはこのジャンルでもアイデアあふれた道具をいろいろ作り出している。
ミゾー製品の利用者はどうしても狭い範囲に絞られる。そのため世間一般への知名度は今ひとつかもしれない。
だが日本中の、あるいは世界中の登山家が命を預け信頼を置いているミゾー製品が草加の町工場で作られていることに、草加市民は誇りを感じていいのではないだろうか。
有限会社ミゾー
草加市手代町100-17
TEL: 048-928-7024
http://www.mizo.co.jp/