イヌイフュージョン株式会社
量産体制からハンドメイドへ転換
イヌイフュージョンは、草加市松江の県道29号線沿い、工場が立ち並ぶ通りの一角にある。
祭壇のように積み上げられた煉瓦塀、壁面に大きく「鍛鐵工房」という鉄の切り抜き文字、「METAL ART CRAFT」の文字と職人の姿が組み合わされた鉄製の看板。ただの工場ではない雰囲気が漂っている。イヌイフュージョンの前身、イヌイ製作所は1968年に創業した。大手メーカーの下請けとして金属プレス加工の量産体制で工場を経営していた。
その後少量生産・ハンドメイドへの業態転換を模索し、1999年に新たな社名、イヌイフュージョン株式会社で再スタート。現在はオリジナリティあふれるエクステリア・インテリア製品、工芸品・オブジェなどを制作・販売する会社として高く評価されている。
会社を壮大なビジョンと情熱で牽引してきたのが竹内好和社長であった。
2010年、竹内好和さんが59歳で逝去。奥様の竹内仁子さんが跡を継ぎ、社長に就任した。
偶然の再会が転換のきっかけ
1990年、竹内好和さんは高校時代同じ美術部に所属していた1年先輩の部長、西田和人さんと約20年ぶりに再会した。現在企画室室長の西田さんはそのときのことをよく覚えている。
「たまたま行った草加市民まつりで、前社長(竹内好和さん)がJC(青年会議所)で、餅つきをしていたんです。で、目が合ってしまった。彼が草加に住んでいることも知らなかった」
好和さんは「今何をしているんですか?」と尋ねたという。ちょうとデザイナーを探していたのである。下請け仕事から切り替えて、新しく自分たちのオリジナル製品を作りたい、と模索し苦闘しているところだった。
当時会社勤めしていた西田さんも、自分の方向を見直していた。
「ふたりともいろんな思いがあった。そういう者同士が邂逅したんです」と竹内仁子さんが言う。
西田さんはすぐにイヌイフュージョンに入社した。
そして二人はハンドメイドの可能性をさぐった。西田さんが札幌の工房に1ヶ月出向して鍛金や金属加工の技術を習得するなど、2人は多くの先生や作家たちに教えを乞うた。
キーワードは融合(フュージョン)
生まれ変わったイヌイフュージョンは何を作ったのだろう。代表例が銅製のポストだ。
「プレスのノウハウと鍛造のノウハウの融合で何か新しいものを作ろうとした。それがポストだったわけです」と西田さん。
プレスとはプレス機械で強い力を加えて、素材を成形する加工方法。
鍛造とは、金属をハンマーで叩いて力を加える事で成形するとともに、金属の強度を高める技法だ。たとえば1枚の銅の板を叩き続けてやかんや鍋を作り出す。なんと細い注ぎ口も叩き出すことで作るという。
銅製のポストはイヌイのシンボルとも言える製品だ。
そこからポストを取り付けるポールを鉄、ネームプレートを真鍮のエッチング、インターホンを銅、と異なる素材を融合して製品に仕上げた。
「イヌイフュージョンのフュージョン(融合)とは、人や素材を活かして新しい世界を作ること。異素材同士、彼と僕、全然ちがう畑にいたものが協力する」。西田さんは融合の理念をそう説明した。
ルネサンス期の芸術工房?
イヌイフュージョンのエクステリア製品、門柱、手摺、螺旋階段、フェンスには植物のつるのように自由に曲線を描く細い鉄が取り入れられている。
この鉄の装飾は「ロートアイアン」という技法で作られる。「ロート(Wrought)」は「鍛えた」「細工した」という意味。錬鉄や鍛鉄と訳されることもある。鉄を真っ赤になるまで加熱して、ハンマーで打って曲げたり伸ばしたりして目的の形を作っていくのだ。
ショールームに茎も葉も花も鉄色のバラが置かれていた。ロートアイアンによって作り出されたリアルな植物だ。ほかにも無数の作品が展示されている。ヤギの頭のポスト、本物に見紛うトカゲはフック、アニメ映画『千と千尋の神隠し』に登場した不気味なキャラクター「カオナシ」を連想するくねる姿勢のオブジェ(ただし映画よりも前に作られていた)など。
イヌイフュージョンはアートを作る工場だ。
「美大出身の作家たちには多大な協力を得ている。彼らは専門の知識はものすごく豊富。うちにないものが彼らにはある。また彼らにないものがここにはある。お互いに補い合い吸収し合ってグレードアップしてきたんです」と仁子さんは言う。
「それも融合です」と西田さんが付け足す。
もしかしたらルネサンス期のヴェネツィアの芸術工房はこんな感じだったのではないだろうか。
イヌイフュージョン株式会社
草加市松江2-11-1
TEL:048-931-7399